石巻競馬関連資料集
└新聞記事:昭和5年(1930年)
「競馬塲を擴張 華々しく催す 今年から凖公認とすべく 關係筋に猛運動を開始」(『河北新報』2月1日)
永い歴史を有する牡鹿郡蛇田村石卷競馬塲が區域が狭いため公認競馬塲にならないので僅かに毎春花競馬を催してる有様だか同競馬組合では今回かねて擴張計畫を具体化したのでこの機會において公認競馬塲としての資格を具備する様區域を擴張して來る四月中に凖公認として花々しく競馬會を催さふといふので數日中に關係代表者が上仙し關係筋に對し猛烈な運動を開始しやうとのことである即ち現在の馬場は約五町歩が不足してるので公認されないのでこれを擴張するか改めて石卷町内の適當な場所に開設するかの議論あつたが結局隣接地を擴張し公認たらしめるといふことに決着し組合員百二十五名ありこれ等の中に隣接市の所有者が七八名ありこの人らの所有地が五町五反あるのでこれを組合側に賣却し擴張しやうといふことになつた斯くせば何等問題の苦しむ□がないので直ちに解決しやうといふのだが産馬組合に對しても交渉が容易であるといはれ今春櫻花爛漫の季節までは一切をすゝめて花々しく競馬會を開催する豫定である
「石卷競馬塲 擴張案再燃 馬塲の内部には各種運動競技塲を設ける」(『河北新報』6月18日)
牡鹿郡蛇田村石卷馬塲を公認競馬塲たらしめやうといふ擴張案は一時具体化を見たのであるが、組合内に異論が生じ再び擴張改造案が曙光を失つた状態である、これがため本年の花競馬も具体的決定を見ないのであるが、最近同競馬塲の擴張について組合及び地方有志間に種々意見が起つてる最も有力な説としては「公認とするに不足分の隣接地を買收し公認馬塲とする擴張案を實現すると共に競馬塲としての内部には各種運動競技塲を開設すること、これには野球塲、テニスコート、その他陸上競技に必要な施設を行ふ」といふのである各種運動塲の周圍が公認競馬塲にするので年二回春秋に競馬大會を催すとしてもその間にはいつでも野球であれ庭球であり、陸上競技のすべてをやれるので馬塲を荒すことがないことになるし最も意義あるものといはれる、これについては宮城電鐵の沿線ともなつてるので電鐵會社でも低利で相當の資金を援助しやうとさへいつてるので組合及び地方有力家の計畫方針によつては案外易々と取り運ぶことにならうと見られる。
「新装を凝らす 石卷競馬塲 宮城電鐵の援助を得て 春秋二回大競馬會」(『河北新報』6月24日)
既報、牡鹿郡蛇田村の石卷競馬塲を擴張し公認馬塲たらしめようとの計畫で同組合では具体的方法を講じつゝあつたが、宮城電鐵では沿線でもあり殊に花競馬の際には臨時に停車塲を開設してた程で擴張に要する資金は低利で貸附方法を講じてやらうといふので渡りに船とばかり組合幹部は黒須同助役と共に幹部數名は電鐵山本社長を訪問し援助を願ひ出でた
同會者でも公認競馬塲として會社で經營してもいゝといふことになつたが實地測量の結果約一千二百米周圍とし走馬幅員十間それにスタンドを設け様式は東京目黒競馬塲のそれを設計基本とし工費約四千圓を投ずることになる。而して中間空地には野球場、庭球コートその他陸上競技に利用し得るやうな最も廣汎に亘つて各種の競技塲たらしめるもので新橋に新停車塲をも設けることにならうといふ
完成後は毎年春秋二回の大競馬會を催すことになり蛇田村にとつては非常な恩惠となり開發の端緒とならうと。
「石卷競馬塲 愈よ大擴張 各種の競技にも利用 宮城電鐵乘り出す」(『河北新報』10月16日)
牡鹿郡蛇田村石卷競馬塲は、電鐵沿線であるだけ宮城電鐵で買收し又は電鐵に經營を任せるか、いづれにしても擴張の必要があるので石卷競馬會と同會社の間に交渉中であつたが、愈々今回兩者の交渉成立し、電鐵において擴張して地方競馬規則に準じ、長さ一千二百米、巾二十二米に擴張し、更に馬見所、觀覧席下見所、優勝馬投票所景品券交附所その他の規定により設備を施すことになつた。過般遠藤競馬會長と山本電鐵社長との間に右に關する契約を締結したが、これによると現在約五千坪の競馬塲の周圍を多少買收して擴張を行ふもので、電鐵側では右土地を向ふ十五年間借受け使用するもので競馬塲の外に各種の運動競技に利用し得るやう改善と施設を行ふことになるので、四季を通じて運動競技の出來るやうに漸次設備を遂げ電鐵驛も同塲附近に新設されることにならうと。
「石卷競馬塲擴築に一悶着 幹部専斷の叫び」(『河北新報』11月10日)
牡鹿郡蛇田村石卷馬塲を擴張し、コースを一千二百米とし、仙臺産馬組合で經營することになるが、これについては電鐵側と蛇田競馬組合幹部との間に年四百圓で貸與するといふ契約を結び、電鐵では沿線でもあるので公設競馬塲としての設備等を行ふことになつたところが、昨今これに對し幹部が組合員約百二十名の大半に無相談で専斷的にやつたのであるとて會員約八十名が幹部専横を唱へ出し目下幹部連が諒解につとめてゐる。右について蛇田村某會員は語る
電鐵が改善を加え馬塲を擴張して公認を得るやうな設備を加へることなど會員の過半數がこれを知らないものが多い、電鐵側及び仙臺産馬組合との契約等を進め認可申請中といふのを新聞で知つたので會員の七八十名が幹部の専横を憤慨し今明日中に代表者が仙臺に赴き交渉を試みることにならう。かうしたことは少しの感情から不和を招くことになるから幹部としては適當の方法をとるべきである
「競馬組合幹事縊死 遺書四通をふところにして」(『河北新報』11月21日)
牡鹿郡蛇田村字谷地一四農K(四六)は二十日午前一時頃家人の寝鎮まるをまつて提灯をつけて家出し數町を距つた北上川運河堤防の松林に提灯を消し置き遺書四通を懐中して縊死を遂げた、同人は地方有力家で蛇田競馬組合の幹事をつとめて居り、目下問題になつてゐる競馬塲を電鐵に對し委譲することにつき奔走中、組合員多數の間に反對説が起り幹部としての責任感から苦慮したゝめ神經衰弱が昂じ自殺したものと傳へられる、なお右につき同組合幹部は曰く、
K氏は地方の資産家で、又競馬塲のためにも最近奔走し電鐵經營に委譲する事になつたが組合員約百二十餘名の意向を聴取し出來るだけ組合の圓滿を期してゐたのであるが、遂に組合員多數が幹部に對して専横であると憤慨してゐるといふ事を心配してこれを苦慮したものと言はれるが、地方の人望者だけに實に惜しい事をした。
「蛇田競馬塲 K幹事突然の自殺で 紛糾收まらん」(『河北新報』11月22日)
牡鹿郡蛇田村競馬塲を十五年間無償で電鐵に貸與し、その代りに一千二百米、巾二十二米に擴張し、それに種々の運動競技塲を設備するといふ條件で、去月九日電鐵側と競馬組合長遠藤章平氏との間に契約を了したが、これに對し組合側には百二十五名の組合員中八十一名が反對し、幹部専横の聲を高めてゐた。反對側の主張によると
十五年間の契約でそれまでに万一競馬熱が冷めることあつた塲合あのまゝ突返されては組合が立たないから馬券收入の幾らかづゝを蓄積し悔いを後に胎したくない
といふのである、しかしこれについても大体妥協がついたものといはれる矢先きK幹事の自殺を見たので組合では大騒ぎである。右について前村長組合幹部大内久馬氏は語る
惜しい男を殺した。家事上に悩みもないだらうし又財政上の苦痛もない筈だ實は十九日夜に山下區の組合員に對し圓滿な解決策が出たのでその署名調印を求めて來たのでこの際仙臺産馬組合の言を信じて圓滿な契約にしたいと思つて直ちに調印して□いた。最初反對する者が八十一名連署したのを見て最も苦痛を感じたのは遠藤組合長でK幹事よりも組合長に間違ひがなければいゝがと心配した、現に遠藤組合長は反對が出た塲合逃げかくれしてゐたものである、しかしK幹事の死によつても組合の紛糾は再びもつれることはあるまいと信ずる。
「落着いた人物 競馬塲問題を苦慮か」
牡鹿郡蛇田村K氏の自殺原因について石卷署では、家人その他に宛てた遺書四通は、いづれも簡單に後事を托したものでその中に競馬塲云々とあり家事上の苦慮からでないと判断して居り、殊に同氏は競馬塲移譲問題については、昼夜の別なく苦心奔走してゐたといはれる。なお自殺するに提灯を點火してやつたのは珍らしい落つきの人だと検視係官も驚いてゐた。
「石卷競馬塲 擴張記念競馬は來春四五月」(『河北新報』12月7日)
牡鹿郡蛇田村石卷馬塲の電鐵移譲契約は、一時組合員の反對に會ひK幹事の自殺で一部を改めたゞけで圓滿な解決を告げたが、擴張に要する隣接土地の買收に際し、又々一部地主の反對にあつて目下木村蛇田村長が斡旋の勞をとりつつある。多分諒解が成り、近々中解決を見る模様だが、本月中に工事を完成し第一回地方競馬を擧行しようといふ計畫は、種々の支障によつて延引してゐるので、結局第一回擴張後の地方競馬會は來年四、五月の櫻花爛漫の候に擧行する事にならうと。
「石卷競馬塲 敷地買收で一頓挫を來す」(『河北新報』12月14日)
牡鹿郡蛇田村石卷競馬塲を宮城電鐵に移譲し地方競馬として花々しく擧行しやうといふ計畫は具体化してゐるが一部地主が隣接地の買收に應じまい所から擴張が一頓挫を見るに至つた、木村蛇田村長や大内久馬氏等有志が奔走し調停に立つてるが未だ妥協を見るまでにすゝんでゐないやうだ、競馬組合の石卷町關係有志間には面倒ならば石卷町に新規に馬塲を開設してはといふ説も起り景氣好潮せばこの説が最も具体化を見るべしとのことである、一方電鐵側では最初の方針に向つてすゝんでゐるが、擴張が出來ないとせば豫定せる來春の地方競馬が行はれないやうでは困るので地方有志は速やかに妥協をつけやうと奔走して居り多分圓滿なる解決を見るだらうといふが時日の問題で出來るだけ解決を早くし來春櫻花爛漫の好期に擴張後最初の地方競馬を行ふべく電鐵側でも臨時停車塲を同所附近に設けることにならうと。