石巻競馬関連資料集
└浅野靖典著「廃競馬場巡礼」の誤りを指摘する
41頁上段3〜4行目『県営競馬はたった1回の開催をしただけで終了』
県営競馬は、昭和23年に1回、24年に4回、25年に2回、26年春にも1回、計8回開催されています。(参照:県の公文書、当時の新聞)
41頁下段4〜6行目『石巻競馬場の跡地は、石巻市門脇の海岸沿いにあるサッカー場と公園に生まれ変わっている』
跡地は現在、日本製紙の工場敷地になっています。サッカー場、公園からは数百メートル西です。(参照:「新旧地図の重ね合わせによる石巻競馬場跡地の推定」)
40頁下段5〜6行目『大正9年には、石巻市水押に土地を借りて〜』
この辺は「石巻市史第四巻」からの引用ですが、そもそもこの「市史」自体が怪しい。他の文献には、水押に競馬場が設置されたのは昭和6年とあります(「宮城縣史」「地方競馬史」)。また大正14年までは蛇田村沖部落で競馬が開催されており、同村内での競馬場併置は考えにくいです。今度暇なときに地籍調査でもしてみます。「市史」には他にも疑わしい記述があります。
40頁下段5〜6行目『石巻市水押』
水押は、当時はまだ蛇田村。
41頁下段10行目『石巻バイパス』
そんな名称ではない。
その他の指摘
42頁
話を訊いた人が2人とも、競馬を直接には知らない。
43頁下段
何故仙台競馬の広告?