石巻競馬関連資料集
 └新聞記事:昭和36年(1961年)

「馬の引荷競走 八〇頭が參加して擧行」(『石卷新聞』7月5日)

石桃牡家畜商組合は二十三日石巻市ひばり野海岸元石巻競馬場で馬の引荷競走を行う。出場馬は一般農家の使役馬で三才以上に限り約八十頭参加の予定で競技は百五十メートルの直線コースを重さ二百八十七キロ以上の荷をひいて走るもので出場馬をA(優秀)B(普通)C(初出場)の三クラスにわけAクラスは七百五十キロ、Bクラスは六百キロ、Cクラスは二百八十七キロの荷物(土俵)をのせたソリをひいて走る。なお同組合ではこの競技大会を石巻市の主催で行なうよう市当局と交渉している。

「障害個所で半分は失格 ヒバリ野の馬力競走」(『石卷新聞』7月25日)

馬力競走が二十三日石巻市営ひばり野競馬場で開かれた。これは県家畜商組合桃生牡鹿石巻支部(沼倉勝治支部長)が催した第二回石巻輓馬競技大会で、出場馬は遠田、志田郡をはじめ仙北一円の農耕、運搬専用馬などおよそ六十頭が参加、折から絶好の競馬日和となつたので、郷土選手に応援する農民や、競馬フアン、小中学生など千五百人がつめかけてコースの周辺を白一色に埋めて、力走する出場馬や、汗びつしよりで砂ぼこりを浴びて愛馬をしつべんする選手に声援をおくつた。この日県から菅原畜産課長代理、千葉市長も出席、午前九時半開会式を行い、十時から百メートルコースで甲、乙、丙、三才の四種目を展開した。コース途中二カ所二高さ八十センチ幅二メートルの砂山の障害が設けられ、一俵七十五キロ(二十貫)ある砂人土俵を甲種目は十俵、乙同は九俵丙同は八俵三才同六俵をそれぞれソリに積んで馬に引かせ五分以内にゴールインしなければならないというものだが半分以上の出場馬は時間内に障害をこえることができず失格になるという手ごわい競技であつた。午後三時半終了したが入賞者は次の通り。
▽甲種目1.佐々木金男(田尻)4分33秒。2.加藤庄左衛門(多賀城)。3.阿部正(石巻)。4.鈴木兵吾(稲井)
▽乙種目(一級)1.阿部新治(稲井)1分52秒。2.高橋熊治(稲井)。3.伊藤枡蔵(住所不名)
(二級)1.庄司重雄(蛇田)2分26秒。2.遠藤孝(鳴瀬)。3.菅野福治(石巻)
▽丙種目1.及川一美(鹿島台)1分39秒。2.栗野一男(稲井)。3.斎藤三郎(石巻)
▽三才種目1.佐藤国夫(鹿島台)0分23秒。2.安田清作(鹿又)。

「軽種馬の育成場 指定で猛運動へ 家畜商競馬会」(『石卷新聞』11月9日)

石巻市ヒバリ野海岸にある旧石巻競馬場(石巻競馬会所有)を農林省指定の軽種馬(サラブレツト系)育成場にしようと県家畜商組合や石巻競馬会(亀山六三郎会長)では運動している。農林省は全国二、三カ所に軽種馬の育成地を設ける予定で候補地を物色しているが、条件としては1.海岸沿いの砂地2.面積は三十三万平方メートル前後などを挙げている。旧ヒバリ野競馬場は1.の条件にはピツタリ適しているが、面積は十五万平方メートルと不足している。しかし周辺の空地までを入れると優に三十四、五万平方メートル以上あり候補地として最適というわけで県家畜商組合などでは大石代議士を通じて十月、農林省へ名乗りあげたもの。机上審査を通過すれば同省から係官が現地視察に来石する同競馬場は一昨年市営競馬廃止となつてから一部はゴルフ場に使用しているが、馬小屋や馬場はむかし通り残つているので昨年秋から春にかけて玉造郡鳴子町の畜産業者が軽種馬の鍛練場に活用好成績を治めたので今年も来る十二日ころから十七、八頭の二才馬(軽種馬)を連れてきて来年三月ころまで鍛練することになつている。
▽県家畜商組合石巻市部長沼倉勝治さんの話=十月農林省へ申請したが軽種馬育成地に指定されれば県全体の畜産振興にカンフル剤となろう。

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