石巻競馬関連資料集
 └新聞記事:昭和35年(1960年)

「廃止に踏み切るか 石巻市營競馬、豫算要求手控え」(『石卷新聞』1月10日)

石巻市はさる六日から各課各部門ごとに三十五年度要求予算の説明をきいているが、存廃いかんを注目されている市営競馬については担当の農林課も予算要求をしておらず、また周囲の状勢からみて三十五年度から市営競馬は廃止になる公算が大きい。これについては千葉市長も再三廃止の意志あることを表明しているが、最近全国各地で競馬競輪廃止の気運が高まりまた競馬などによる「地方財政への寄与」にしても戦後十五年のいまでは通用せず、まして石巻市のように年々二−三十万円の赤字を出す計馬では、全く継続の理由がない−という意見が市当局部内にもつよい。なお石巻競馬は二十四二十五年は県営で開始、二十六年から市営で現在まで毎年春秋(二回二十六年は一回)計十八回を開催してきたが、二三万円の黒字になつたのは一回だけで他は毎回トントンか赤字、とくに近年は毎回二ないし三十万円近い赤字となり三十四年度も三十万円近くの赤字を出してその補てん問題が残されている。

社説「馬産奬勵の 意味がなくなつた競馬」(『石卷新聞』1月12日)

 南部馬は名馬として、また、この南部馬を産する岩手県は馬産地として全国でも定評があるのですが、この南部馬のもとをただせば、旧仙台藩が外国から優秀な種馬を輸入したけれども幕府の目がこわくなつて、この種馬を藩境から南部領内に追放したことによるものだと伝えられています。これは話しでありましても旧仙台藩時代にも馬産を奨励したことから宮城県も馬産地であつたことは、県内に軍馬補充部が設けられたり、明治天皇愛馬の金華山号が宮城県産であつたことでもわかるのです。この馬産奨励のため競馬が行なわれるようになつたのは明治時代からでしようが、破馬に類するものはむかしからあつたけれどもハツキリした競馬は外国から渡来したものと思われます。
 外国では競馬と馬産奨励とを結びつけているかどうかしりませんが、競馬と馬産奨励を結びつけたのは日本独得のものではないでしようか。競馬馬は競走用のものですから、これを育成するにしても一般の馬とは違うものがあるし、また競馬馬には特殊な品種があると思います。そこで、どんなに競馬馬をふやしたとて、それが馬産奨励にはならないじやありませんか。競馬から馬事思想を普及するといえましても、いまの競馬はトバクをかねた娯楽的なものですから馬事思想を普及するどころか、かえつてトバク行為を普及することになつてしまいました。
 競馬は馬産奨励にもならなければ、馬事思想の普及にもならないなら、これを存続する意味が極めて薄弱なものとなることはいうまでもないことです。競馬は娯楽としての価値は認めなければなりませんが、それにトバク行為が伴うなら健全な娯楽とはいえません。ことにこのような健全でない娯楽が公営となつているなどは公営でトバクを行つているにひとしいものです。競馬は、競輪などにくらべたら、その弊害は少ないといわれるかもしれませんが、しかし競輪は弊害があつても、これを公営する地方自治体では、そのあがり高を財源とし、学校や道路その他の公共事業を行つているのに、競馬もそうであるなら弊害があつても、がまんすることもできましようが、石巻の場合競馬でそのようなことを行つたと聴えたことがないのみか、かえつて赤字を埋めるに団体の援助を受けるなど、その名は公営であつても公営の実がないじやありませんか。
 競馬が赤字であつても、競馬を行なうことによつて、市中に金が落ちるのだから市の繁栄に一役買つているというでしようが、そのためばかりに市が、赤字処理のために四苦八苦しなければならないわけもないと思います。競馬は馬産奨励だとしても、こんご日本が再軍備したところで、軍隊の装備は機械化したのですから旧軍隊のように軍馬を必要としませんし、また、農耕用も耕運機などが出現したので、だんだん農耕馬の必要もうすくなる時代に、何んのために競馬をして馬産を奨励しなければならないかです。現在の競馬は、ただ、トバク行為を伴つた娯楽的なものに過ぎなくなつたといわなければなりません。市財政のたしになるなら、存続してもいいけれども石巻の場合は、トバクを伴つた娯楽を赤字まで出して公営を続けなければならないはずはないと思います。
 もし、どうしても娯楽として競馬が必要だというなら、明治から大正にかけて、毎年初秋に蛇田で行つた草競馬のようなものをやればいいのでありまして、蛇田の競馬は公営ではなかつたけれども、毎年相当賑つたものでした。また競馬にまさる娯楽は幾らもあるのですから、娯楽のために、トバクを伴う競馬にだけこだわる必要はありません。石巻競馬の存廃でいろいろの議論がありまして、つまりはこの競馬が黒字続きなら文句はないでしようが、赤字続きのため廃止論もでるわけですが、しかし、黒字赤字は別としても、馬産奨励の意味がなくなつた現在、トバク行為が伴う娯楽に過ぎない競馬をあえて公営を続けてもいいかどうかを考えてもいい時期が到来したと思います。いま石巻市は明年度予算の編成期となつているのですから、競馬の存廃を真剣に検討するに最もいい時期だと思います。赤字埋めに余計な苦労するなら、この際思いきつて廃止に踏みきれば、かえつてサツパリするじやありませんか。

「市營競馬の廢止 石巻市 いよいよ正式決定へ」(『石卷新聞』3月12日)

石巻市はかねて論議されてきた市営競馬の廃止をいよいよ正式決定する方針で、ここ一両日中に市長決裁のうえ、市営競馬運営委員会ならびに二十一日招集予定の臨時市議会に諮ることとなつた。三十五年度の各種特別会計予算はすでに議決されたが市営競馬特別会計予算のみはまだ編成されず、本予算を審議する予算市会を間近に控えなお編成の気配も見えず、競馬廃止は決定的である。石巻市の市営競馬は昭和二十六年いらい毎年春秋二回開催されてきたが、赤字の連続のうえ、ギヤンブル行為の市営に対して一部の市民から批判も多かつた。こんど廃止が決れば市営競馬は赤字連続のすえ十年の歴史を閉じることとなる。

「市營競馬廢止やむを得まい 石巻市会産経委で結論」(『石卷新聞』3月24日)

二十三日午前十時から開いた石巻市議会の産業経済委員会(内海求委員長)は市営競馬の廃止問題をとりあげ協議した結果、廃止もやむを得まいとの結論に達した。委員の一部には「もう一年ぐらい開催してはどうか」との意見もあつたが、大勢は「廃止やむなし」に傾むいた。市営競馬廃止後の同競馬(雲雀野海岸)施設の転用などについては、廃止が正式に決つたあと同委員会で検討することとし正午すぎ散会した。この日の産経委員会は、市営競馬廃止の意向を固めた千葉市長が市議会に同問題の検討を要請したのに基いて開かれたが、今後は市営競馬運営委員会を経て来月上旬招集の予算市議会に提案議決、ほとんど赤字の連続だつた石巻市営競馬はこれで正式廃止の運びとなり、十年間の歴史を閉じることとなる。

「新年度 豫算に積極性 市営競馬の赤字(三十四年度分)は市で負擔 千葉市長、記者会見で語る」(『石卷新聞』3月30日)

千葉石巻市長は二十九日午前の定例記者会見で明年度予算編成の基本方針などについて次のように語つた。同市長はこの話のなかで「三十五年度予算には許す限り積極性をもたせたい」と語つた。
(中略)
一、市営競馬の廃止については四月二日の競馬運営委員会に諮つたうえ、四月の市会に廃止条例を提案する。三十四年度の赤字(見込)二十八万八千余円は、前市長時代に交した市と業者との約束により、市で負担することとなろう。業者は「競馬開催継続を条件に赤字を負担する」ことになつているからだ。契約書がある以上やむを得まい。
(後略)


「競馬運營委 二日に開く」
石巻市は四月二日午前十時から競馬運営委員会(三十一人)を開き市営競馬の廃止について諮問するこのあと同八日(予定)招集の市議会へ市営競馬場設置条例、同開催条例の廃止を提案、この議決によつて石巻市営競馬の廃止が正式決定する

「市営競馬廢止で意見きく 石巻市 きょう運營委員会」(『石卷新聞』4月3日)

石巻市では、二日午前十時から市議会会議室で市営競馬運営委員・専門委員の合同会議を開き、市営競馬の運営について各委員の意見をきいた。浅野、熊本、吉田忠、和田、太斉、沼倉、畠山、堀村、稲井渡辺ら各委員、市当局側は千葉市長、佐藤農林課長らが出席、千葉市長まず「いままでの市営競馬の実績を検討した結果、このまま継続しても地方財政に寄与するという本来の目的にそうことは到底困難な見通しなので、このさい廃止を考えている」と方針をのべ、続いて佐藤農林課長が昭和二十六年いらい過去十六回の市営競馬実績などにつき説明、これに対し各委員が賛否の意見をのべた。浅野、太斉氏ら各委員は「赤字続きでしかもトバク行為の市営競馬はこのさい廃止すべきだ」と廃止を主張、これに対し堀村、吉田忠、畠山、沼倉氏ら各委員は「市営競馬が地元をうるおすところは大きい。せめてもう一年廃止をまつてほしい」と廃止反対を主張した。この日は結論を出さず賛否双方の意見をきいて正午すぎ散会したが、すでに千葉市長の基本方針は廃止と決定しており、八日招集の予算市会に市営競馬廃止が提案されるのは確実である。


「トバク行為だ(廃止論) 地元うるおす(存続論) =市營競馬運営委で對立=」
きよう開いた市営競馬運営・専門委員合同会議における各委員の発言内容次の通り
▽浅野委員=根本的に地方競馬は地方財政に寄与しなければやるべきものでない。たまに黒字があつても極めて少額、逆に赤字は大きいというのでは話にならない。このさい廃止すべきだ。
▽堀村委員=石巻全体からみて決してマイナスになつていない。南に競馬場、北に野球場あつてせつかく石巻の年間行事となつているのだし、競馬条例廃止は一年まつてほしい。
▽畠山委員=競馬の実績も年々上昇しており、仙台で廃止すればその分フアンが石巻へ来ることも考えられる。もう一年継続してはどうか。
▽吉田忠委員=赤字というが市の誤払い十二万六千円などもあつた。競馬そのものの赤字だけではない。赤字の原因を究明すべきだ。
▽和田委員=毎回馬券売り上げが増して赤字が伴なうというのはどういうことか、検討の余地もある。廃止をいそがずもう少し弾力性ある措置をとれぬものか
▽太斉委員=市営競馬の赤字を業者が負担すること自体不健全だ市営なら市が負担すべきだろうまた趣旨は馬産奨励だが実質はトバク行為だ。このさいハツキリ廃止せよ。
▽沼倉委員=トバクだろうが何だろうが国の認めていることだ。赤字というが反面多くの金が地元に落ちているのに、廃止せよとはあんまりだ。本気でかかれば一千万円以上売れるはずだ。


「石巻市營競馬 收支實績調べ」
石巻市営競馬の過去九年の収支結果は次の通り(円、◎印は黒字、△印は赤字)
(26年度)◎二三・三八五(27年度)◎一九・八二一(28年度)◎一五二・五九六(29年度)△三八九・五三九(30年度)三二五・一二九(31年度)〇二六・一五五(32年度)△二七〇・〇〇〇=業者負担(33年度)△二二一・六九四=業者負担(34年度)△二八八・三三五。

「市營競馬廃止も提案 臨時石巻市會あす招集」(『石卷新聞』4月8日)

(中略)あす招集の石巻予算市議会に提出される議案の十二件であ次はる。
(中略)▽石巻市営競馬場設置に関する条例等を廃止する条例(後略)

「市營競馬廃止 きょう正式決定」(『石卷新聞』4月13日)

十一日で市長施政方針に対する質問を終つた石巻市議会は十二日午後本会議を続開、この日は市営競馬廃止など十二議案を審議、市営競馬は三十五年度から廃止することに即決した。

「市營競馬ついに廢止 過去16回開催で終止符」(『石卷新聞』4月14日)

(昨報)十二日午後の石巻市議会は「石巻市営競馬場設置に関する条例等を廃止する条例」を満場一致で即決、これで石巻市営競馬は三十五年度から廃止されることが正式決定した。まず千葉市長から「いままで市営競馬を開催してきたが、その実績は芳しからず、本来の目的に添い得ない」と提案理由を説明、田畑議員(社会)は「すでに論議はし尽されている。満場一致で廃止議決すべきだ」とのべた。これに対し堀村議員(公友会)はさらにもう一年の開催継続を強く要望、一たん休憩し意見調整の結果、満場一致の形で同議案を即決した。石巻市営競馬は昭和二十六年いらい毎年二回(二十六年と三十一年は一回)ずつ開催、馬券売上成績は三十二年千四十一万九千六百円、三十三年千百六十六万八千八百円、三十四年千百八十五万七千五百円と近年漸増してきたが、反面収支の実績では三十八万九千余円(二十九年)三十二万五千余円(三十年)二十七万円(三十二年)二十二万千余円(三十三年)二十八万八千余円(三十四年)など赤字が続き、黒字の最高は二十八年の十五万二千余円で、他はいずれも一万、二万円という僅かな黒字だつた。


「漁網干し場?となった 市營競馬場 払い下げ後は何に生れ変る」
石巻市営競馬は十二日午後ついに廃止と決定した。「赤字続きのギヤンブル行為では全く意味がない」「石巻の恒例行事となつた競馬は存続すべきだ」と存廃両論のあつたこの問題も、これで決着がついたわけだ。残る問題はヒバリ野海岸の同競馬場施設がどう生れ変り、どう活用されるかだ。廃止決定の日の同競馬場は春の陽光を浴びて走路、柵、堤防といたるところに漁網が干してありさながら漁網干し場の観。
 石巻市は去年の五月、石巻営林署を通じ青森営林局へ同競馬場一帯の払い下げを陳情した。陳情の理由は「ヒバリ野海岸一帯は将来の釜工業港にも近く、市営競馬場もあり海浜学校、自動車練習場などいろいろな面に市の施設として利用したい」というものだつた。払い下げを陳情した区域は東北パルプ石巻工場の放水路から西百五十メートル−河口東突堤までのヒバリ野海岸一帯二十八・八ヘクタール(二十八町八反)である。つまり従来は国の所有物である同海岸の一部を、競馬会が借りて市営競馬を開催してきたわけだ。
かりにこの払い下げ陳情が成功したとして、同地域をどんな施設に活用するか−市民体育場、漁網干し場、自動車練習場、ゴルフ・リンクなどの声があるが、問題は同海岸が毎年きまつて台風出水時には水びたしとなり、競馬場まで水を冠ることだ。千葉市長もこれにつき「競馬場施設は競馬会の意向もきいたうえ、なるべく市全体のプラスになるように活用したいが防潮施設が前提になろう」と語つている。なにに生れ変るか競馬場…ここ当分はモツパラ各漁業会社の好個の”漁網干し場”にあてられそうだ。

「川開初日に花競馬 石巻 縣内各地からも參加」(『石卷新聞』7月19日)

”祝・川開”と銘打つた花競馬が川開第一日目の三十日午前九時からヒバリ野競馬場で催される。県家畜商協組桃牡石巻支部が主催、川開祭り会、石巻商工会議所、石巻商店会が後援するが、入場無料で多数フアンの来観をのぞんでいる。地元のほか遠田、栗原、仙台方面からも応援出場の申込みがあり、また特別競技として馬ソリ、牛ソリ競走などもある。当日雨天のさいは順延するが、市営競馬が三十五年度から廃止となつたあとだけに、地元フアンの話題を集めている。

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